消化器疾患と漢方 kanpou

消化器センターを受診する患者さんの中には、検査をしてもはっきりと原因の分からない症状も多くみられます。

 

特に「胃もたれ」や「みぞおちの痛み」などは内視鏡検査を行っても潰瘍や癌などの大きな病気はみられないことも多く、こうした病態は機能性ディスペプシアと呼ばれています。

 

日本における機能性ディスペプシアの有病率は健診を受診した方の1117、上腹部の症状で受診された方の4553と言われ、かなり多くの方にみられる病態です。

機能性ディスペプシアは、胃の運動機能の問題や内臓知覚過敏、生活習慣やストレス、ピロリ菌感染など、多くの要因によって起こり得ると言われています。

 

また、逆流性食道炎過敏性腸症候群など、その他の機能性の胃腸障害を合併していることも多いと言われており、機能性ディスペプシアの方の半数がいずれかの症状を有しているという報告もあります。

 

通常、上腹部の症状で受診された患者さんには、まず内視鏡検査を行ない、潰瘍や癌などの大きな問題が無いことを確認します。その上で、機能性ディスペプシアと思われる患者さんに対しては、胃酸分泌を抑える薬胃の運動機能を改善する薬を処方して経過を見ます。

 

しかし、そういった治療で改善しない場合は、ガイドラインにおいても漢方薬の使用が提案されています。場合によっては不安を取る薬を使うことで改善することもあります。

 

漢方薬は癌などの器質的な(形の異常のある)病気を完治させることは難しいですが、機能だけの病気であれば、時に西洋医学より優れた効果を発揮します。

 

漢方は長い歴史の中で、西洋医学とは異なった診断・治療技術を確立してきました。まだその全ては科学的に解明されていませんが、現在多くの臨床研究で漢方の有用性が報告されています。

 

消化器センターではそのような科学的根拠も考慮しつつ、漢方独自の診断である(しょう)を意識し、その人に合った漢方薬を処方することを心がけています。

 

ここでは漢方の考え方に必要な基本知識と、当センターを受診される方が多い症状に使用する漢方薬について説明していきます。

 

今後少しずつ対象疾患を増やし解説して行きたいと思っています。

 


 

漢方の基本

ここからは少し漢方独特の観念的な話に入っていきます。漢方の診断と治療の基本に関わる大事な部分のみ、ごく簡単に説明していきます。

興味の無い方は読み飛ばして頂いても結構ですが、知っているとより理解が深まると思います。

 

 

1)漢方の歴史と、中国伝統医学との違い

古来、日本での医学は、もともと中国から渡ってきたものでした。

しかし江戸時代に入りオランダから西洋医学が導入されたことによりこれまでの医学と用語を分ける必要が出てきました。

そこでオランダから入った医学を蘭方(らんぽう)と呼んだことから、それまでの医学を「漢方」と呼び分けることになったのです。つまり、漢方という言葉は日本独自の用語です。

 

現在、中国伝統医学は中医学(ちゅういがく)と呼ばれ、複雑な理論体系を持っています。

一方で日本の漢方は江戸時代以降、独自の進化を遂げ、観念的な理論に頼らず、より実践的な医学を目指してきました。

 

 

しかしあまりに理論が少ないと伝承しにくいので、日本漢方でも最低限の用語と理論は残しています。

 

中医学と日本漢方では同じ用語でも少し異なる意味で使われているものもあり、多少の混乱があります。

ここでは主に日本漢方で用いている用語で説明していきます。

 

2)証について

(しょう)とは前述の通り、漢方における診断名です。

後述するようにエネルギーの足りていない人を「虚証(きょしょう)」と言ったり、例えば葛根湯が合う病態の人をそのまま「葛根湯証(かっこんとうしょう)」と言ったりします。

 

3)漢方の診察

漢方の診察は、四診(ししん)と言われ、望診(ぼうしん)聞診(ぶんしん)問診(もんしん)切診(せっしん)4つからなります。

特に日本漢方においては、腹診(ふくしん)が重要で、例えば頭が痛いという主訴でも、お腹の診察をします

それは漢方ではある一つの症状を治療するのではなく、全身の異常の中の徴候として表れているという考え方をしているためです。

 

4)陰陽(いんよう)について

陰陽(いんよう)」とは、全ての事象を陰と陽の二つの性質に分けて考えるという中国の思想です。

これを病態に当てはめ、(きょ)(じつ)(かん)(ねつ)()(ひょう)などに分けて考えますが、日本漢方では主に寒熱に着目し、概ね全身的に寒の性質の強いものを「陰証(いんしょう)熱の性質の強いものを「陽証(ようしょう)と呼んでいます。

手足

飲み物

便

顔色

鼻水

陰証

冷える

温かいものを好む

遅い

下痢気味

青白い

水っぽい

陽証

ほてる

冷たいものを好む

速い

便秘気味

赤い

粘稠

 

漢方薬はたくさんの生薬を組み合わせて出来ていますが、生薬には温める作用の強いもの、冷ます作用の強いものがあり、陰証であれば温める、陽証であれば冷ますことを治療の原則としています。

5)虚実(きょじつ)について

陰陽と並んで日本漢方で重要視されている基本の病態診断が「虚実(きょじつ)」です。

やはり本によって様々な定義が書かれており、混乱が生じています。

 

虚とは足りないこと、実とは余計なものが入っていることです。病態で言えば、虚とは「本来持っているエネルギーの足りない状態(正気(せいき)(きょ))、実とは「何か悪いものが入ってきている状態(邪気(じゃき)(じつ))のことを言います。

 

 

これも陰陽と同様に治療の考え方に直結しており、虚証の人には足りないものを補う様な生薬を、実証の人には悪いものを出させる様な生薬を用います。

この治療の考え方を「補虚瀉実(ほきょしゃじつ)虚すればすなわちこれを補い、実すればすなわちこれを瀉す」と言います

 

6)気血水(きけつすい)について

前項で「正気の虚」と言いましたが、何が足りていないのか、何を補えばいいのか、それを考えるための便宜上の概念として漢方で想定しているのが、()」「(けつ)」「(すい)という3大物質です。

 

気とは生命のエネルギーの源で、全身を巡ってあらゆる生理的作用を推進するものです。血や水を従えるもので、体を守ったり温めたりしています。

 

血は気の作用で体を流れる赤い液体で、いわゆる血液に相当し、皮膚や臓器を栄養するものと考えられています。

 

水は血以外の水分であり、体を潤したり、体の熱を冷ましたりする作用があるとされています。

 

7)気血水の異常

気血水の異常は主に、①足りなくなる、②停滞する、の2種類に分類されます。気が足りない状態を気虚(ききょ)、血が足りない状態を血虚(けっきょ)と言い、気が停滞した状態を気滞(きたい)(または気鬱(きうつ))、血が停滞した状態を瘀血(おけつ)と言います。

水だけは足りなくても停滞していても水毒(すいどく)という言い方をしますが、主に停滞した状態が問題とされることが多いです。

前項と同じ様に、例えば気虚であれば気を補う生薬補気薬)を使い、気滞であれば気の流れを良くする生薬(理気薬(りきやく))を使うという風に考えます。

 

 

これらはまだ基本的な話ですが、こういったことを理解すると、漢方薬を含まれている生薬から見て、より深く考えられる様になります。

 

以上を踏まえて、各疾患における漢方薬の選び方について考えていきたいと思います。


 

逆流性食道炎に対する漢方治療

 

当院では逆流性食道炎に対する新しい内視鏡治療(ARMS)や、腹腔鏡を用いた手術治療(腹腔鏡下噴門形成術)などの治療を行なっており、たくさんの患者さんが来院します。

 

良性疾患ですので全ての患者さんが内視鏡治療や手術の適応となる訳ではなく、内服治療で改善し経過をみることが出来る方も多くおられます。

 

一般的には胃酸分泌を抑える薬を使用しますが、改善しない場合には漢方薬を使用することもあります。

 

胃食道逆流症の主な症状は、胸焼け呑酸(酸っぱいものが上がってくる)、ゲップなどですが、喉の違和感などの症状が出る方もいます。

 

 

よく使う漢方薬と使い分け

当院で逆流性食道炎に対してよく使用する漢方薬には、①六君子湯(りっくんしとう)、②半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)、③半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)があります(他の薬を使用することもあります)。

3つの漢方薬に含まれている生薬を見てみると、よく似ていることが分かります。

 

ショウキョウとカンキョウは処理の仕方が異なりますがいずれも生姜です。

 

更にそれぞれの生薬について、気血水への作用や寒熱への影響を見てみると、よりその人に合った薬が分かってきます。

 

 

少し複雑ですが、結論から言うと以下の様な使い分けになります。

 

  半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)タイプ(気滞(きたい)気鬱(きうつ)、喉のつまりタイプ)

半夏厚朴湯の構成生薬を見てみると、ほとんどが気の流れを良くする作用を持つ理気薬(りきやく)であることが分かります。気の流れを良くすることで胃腸の流れも良くするという意味合いです。

 

生薬の数は5つと比較的少なく、シンプルな処方です(余談ですが漢方では生薬の数が少ないものの方が、短期間で切れ味よく効果が出やすいと言われています)。

 

この薬が合う人は、逆流性食道炎の中でも、胸や喉のつまる様な感じが強いタイプの方です。典型的には、喉に何か引っかかって取れない感じを訴えます。

 

みぞおちは少し張る様な感じがあり、気分がふさぐ様な感じや不安感がある様な場合はより良い適応となります。

 

半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)タイプ(逆流・炎症タイプ)

半夏瀉心湯と六君子湯の構成生薬は良く似ており、5種類が同じ生薬です。

 

半夏瀉心湯の特徴は、気を補う薬と流れを良くする薬、そして熱を冷ます薬が入っていることです。

 

みぞおちのつかえる感じもありますが、どちらかと言うと逆流してくる感じやゲップ、胸焼け症状が強い方が適応となります。

 

お腹がゴロゴロ鳴り、時に消化不良で下痢をする様な方にも使います。

また炎症を抑える作用もあるので、口内炎に用いることもあります。

 

 

  六君子湯(りっくんしとう)タイプ(気虚(ききょ)、胃もたれタイプ)

六君子湯は気を補う作用が非常に強いのが特徴です。

もともと四君子湯(しくんしとう)(ニンジン、ビャクジュツ、ショウキョウ、カンゾウ、タイソウ)という補気剤の基本処方に、二陳湯(にちんとう)(ハンゲ、チンピ)という理気剤を加えたもので、気が弱っていて胃の流れが悪くなっている人が適応となります。

 

逆流症状よりも、胃もたれや食欲不振が強い方が適応となります。典型的には、胃に水が溜まってポチャポチャ音がするという症状が出ることもあります。

 

気の不足(気虚)が背景になっていますので、疲れやすい、食後すぐ眠くなる、手足が冷えるなどの症状がある場合はより強い適応です。

 

六君子湯は漢方の中でも数多くの臨床研究がされている薬で、国内外から論文報告がなされています。最近では食欲を増進させる「グレリン」というホルモンの分泌量を増やす薬理作用があることが分かり、注目を集めています。

 

上腹部の症状に幅広く用いられており、特に機能性ディスペプシアや逆流性食道炎においてはガイドラインでも紹介されています。

 

  その他の漢方薬

これまで紹介した3つの処方以外にも、逆流性食道炎の症状が適応になり得る漢方薬はたくさんあります。

 

漢方治療に興味のある方は消化器センター医師までご相談ください。