松川 正明まつかわ まさあき
社会福祉法人あそか会あそか病院
昭和大学附属豊洲病院は1982年6月に開院しました。内科は循環器・呼吸器を主に診療し、成澤達郎教授が主宰していました。1982年7月に栗原稔先生が内科教授として赴任し消化器の診療を開始しました。1984年8月に内科から分離して消化器科になりました。消化器科を主宰していた栗原稔教授は順天堂大学消化器内科で化学療法を主に研究していました。当時豊洲病院消化器科に医局員が少なく、昭和大学第二内科、千葉大学第一内科、札幌医科大学第一内科、名古屋大学第一内科より医師の応援を頂きました。1986年8月に泉嗣彦先生が助教授として順天堂大学より赴任しました。1987年10月に第196回日本消化器病学会関東地方会を栗原教授が開催しました。私は当時順天堂大学で大腸班として下部消化管のX線診断と内視鏡診断を主に行い、診断に基づいた治療を行っていました。栗原教授とは千葉大学第一内科の同窓であった関係でもあり、昭和大学附属豊洲病院に行くことになりました。1992年2月に故成沢達郎院長の面接を御茶ノ水の喫茶店で受け、内科と消化器科の関連性について教授をいただき、成沢院長の了解を頂き、1992年4月1日より昭和大学附属豊洲病院消化器科として准教授で赴任しました。
1993年6月に第56回日本消化器内視鏡学会関東地方会を、同年8月に第4回在宅癌治療研究会を栗原教授が開催しました。
赴任した消化器科は消化器疾患Gと癌化学療法Gと二つのグループがありました。癌化学療法Gは栗原先生が主宰され、化学療法の効果を形態学的な効果と患者のQOLから変化について研究し、山本和亘(千住中央診療所)、佐藤温(弘前大学腫瘍内科教授)、嶋田顕(江東豊洲病院内科)、関川高志(藤が丘病院内科)が治験を主とした臨床研究を行っていました。消化器疾患Gは消化管グループと肝胆膵グループに分かれていました。肝胆膵グループは千葉大学第一内科(現 腫瘍内科)より応援していただき、次いで昭和大学第二内科(現 消化器内科)から応援していただきました。消化管グループは上部消化管と下部消化管も形態学に基づいた早期癌の診断を行っていました。栗原教授も私も故白壁彦夫教授の弟子でしたので、X線検査と内視鏡検査による形態学的診断を行っていました。毎週月曜日の回診と医局会の後で、内視鏡の読影を行っていました。当初は内視鏡室は入院棟1階にありました。内視鏡セットは1台しかなく、午前は上部内視鏡検査を午後は大腸内視鏡検査を数件行っていました。若い医局員はなかなか大腸内視鏡をふれることが難しいので、兎に角午後の検査に早く来た順に検査をはじめ、15分間検査を行い、盲腸まで到達できない場合に上位医師と交代することにしました。これにより、若い医師にやる気がでてきたように思いました。このころより、昭和大学卒業生でゴルフ部の医師が直接入局するようになり、医局員が多くはゴルフ部でした。入局者として幸田孝彦君、小川英風君、千葉俊也君、山﨑武司君、山﨑麻衣子君、宮本彰俊君、牛尾純君、久保定徳君、野村憲弘君、鹿島恭子、佐久間大君、佐藤雅君が入局しました。当時、本院では内視鏡検査を行うには卒後4-5年であったことが豊洲病院に入局した主な原因と思われます。
1996年11月に第34回日本癌治療学会総会が栗原教授によって開催されました。当時医局員は18名程度で、新入医局員もポスター会場の責任者になりました。会場も東京ビックサイトを主会場として開催し、3400名の参加者がありました。
1998年4月に消化器科員外教授に就任しました。2000年4月に消化器科医長になり、2000年9月に消化器科教授になりました。 2005年4月に内科再編成で内科と消化器科が統合して内科となりました。このため、消化器科として特徴が生かせず、入局者が減りました。
2008年に豊洲病院長に就任しました。就任した年の1月に病院経営が赤字であり理事会より呼び出しがありました。病院の実態を職員一同と共有し、病院の状態を改善するために豊洲病院でワークショップを開きました。この結果収支は改善しましたが、黒字になりませんでした。豊洲病院のワークショップをはじめとして、各病院でもワークショップを行うようになりました。
第7回 栗原会
2008年9月6日(土) 学士会館にて
2011年3月に東日本大震災があり、当時9階で大腸内視鏡検査をしていました。
豊洲病院は8階で診療棟と入院棟があり、8階に渡り廊下がありました。地震では渡り廊下の床を覆っていた床材がヒラヒラまわっていました。今にも崩れるのではと思いました。
警察官の指示で病院として使用することができないとの指示があり、歩行できる患者さんや車椅子で移動できる患者さんを豊洲クリニックへ移動しましたが、床が固いとのことで病院よりマットレスを急遽運んだことが思い出させます。歩行できない患者さんは都内の病院に転送しましたが、震災後の道路混雑で全員の転送が午前3時になりました。
私が消化器科の責任者になってから、入局後1年間は豊洲病院で研修を行い、2~3年の間に興味ある分野について国内留学を1年間することにしました。この留学先には肝臓病から内視鏡治療まで広い分野に若手医師を送り出しました。豊洲病院に戻って勉強した分野のリーダーとして頑張っていただきました。
2012年8月に日本消化器内視鏡学会臨時セミナーを新宿で約1000名を集めて2日間開催しました。井上教授には講演早期食道がんについて講演していただきました。
2013年3月に定年になりましたが、江東豊洲病院開設への移行するため定年が延ばされました。2013年に豊洲病院の病院旅行を行い、豊洲病院がなくなるので記念になることを残そうとなり、病院職員全員で「恋するフォーチュンクッキー」ワンフレーズづつ踊りました。豊洲病院のさよならパーティーで披露しました。
2014年3月下旬より新しくなった江東豊洲病院消化器センター消化器内科教授として、井上教授とともに消化器センターに赴任しました。
昭和大学江東豊洲病院消化器センターのご活躍とご発展を祈念いたします。
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